自分と自分以外

 

こんばんは。

 

最近、気持ちの起伏が多すぎて、やや疲れ気味です。

ブログ書ききったあとはすっきりして、あとから書いたことを見直して、徐々にブルーになります。

ただ頭の中を整理できたら気付くことも多いので書くのは楽しいです。

 

さて、今日は「自分と自分以外」について語りたいと思います。

純粋にこれについて整理したいためだけに書きます。

思ったことを書くので、起承転結はないです。落ちもないです。

 

 

世の中は自分と自分以外(他人)で出来ています。

小さい頃、自分以外はもしかしたら作られたもので出来ていて、自分という物語の中で、すでに決められているものだと感じながら生きていました。

 

そんなことを疑問に思いながら生きてきた自分は、自分以外の存在にとてつもなく興味を抱いていました。

 

他人の視界が気になっていました。

例えば向かいにいる人は自分が見えている映像が映し出されているんだろうなあ、たぶん。とか考えていました。

 

ただもしかしたら、そんなことはなくて目が見えていないかもしれません。自分という物語を生きている中で現れる人なだけで、人でないのかもしれないと思っていました。

 

しかも、それは誰かのを確認する術もないのです。

ただそれに対して気になっていた自分は、他人の目線を常に想像していました。

 

でも、できるのは想像するところまで。自分以外とギャップが起きます。

 

自分は、自分の中の自分という自分だけの考えや目線、行動しか知ることしかできません。

他人の行動を目で見てどう行動したか見えたとしても考えなどを100%理解することはできません。

 

これが当たり前です。

 

 

なぜなら自分は自分以外じゃないからです。

 

反対に自分以外は自分ではないです。

 

なので、理解することができません。

 

 

つまり、自分以外は自分になれないので、自分自身でしか100%自分を理解することはできません。

 

恋愛においても、仕事においても、友人においても、自分と自分以外で出来ているものなので、相手のことを100%理解することなんて不可能なのです。

 

もし理解していると思っているなら、それは思い過ごしです。

 

もし本当に理解できるのなら1mmもストレスなんて感じることはないでしょう。

 

理解できないから怒ったり、イラついたりして、

たまたま理解できたから喜んだり、嬉しかったりするのです。

 

 

理解できてもたまたまです。偶然。100%ではないです。

 

これが現実です。

 

 

話少し混雑しますが、自分は自分一人しかいません。

自分以外は1億人以上います。

 

自分の考えが正しいことはあり得ません。

なぜなら、1億人以上の人が別のことを考えているからです。

 

正しいと言い張ったって多数決で叶うはずがありません。

似たようなことで賛同は得られるかもしれませんが、似ているだけで違います。

 

でも、似たようなことを考えられるのは優秀です。

反対に自分だけの考えで、正しいことを言い張ったり行動できるのも優秀です。

 

 

 

話長くなりすぎて、まとまることができない気がしてきたので、まとめます。

 

自分は自分です。自分以外になれません。

考え方は、変わることも変わらないことも自分次第でできるということです。

ただ自分以外と100%わかり合うことはできません。

自分が正しいかどうかもわかりません。ただ正しいと思うことはできます。

それに対して、自分以外はどう思うかはわかりません。

 

世の中は複雑にできています。

 

難しいけど、そういうこと。

 

 

なにが言いたいのかわからなくなっちゃったー。

 

ごめんなさい。

 

少しでも考えることにつながったら嬉しいです。

 

考えることだけに繋げてください。内容に意味はないです。