正論先生と現実

 

正論先生は世の中には必要である。

客観視できて、冷静に判断できる。

経験やモラル、ルール、常識から繰り出される正答で正論を発言できる人。

 

でも、対人ですべて正論先生で突き詰めると、それは凶器にもなる。

 

今の日本はネット社会で文面のみで伝えることも少なくなく正論先生がたくさんいる。

仁義や筋を通そうとしても正論先生には敵わない。

 

例えば、人を助けようとして物を壊したとする。

物を壊したところだけ見た人からすれば、その人は悪人になる。

 

正論先生は、メディアのように切り取った情報を流し、

その内容について正論で言うこともできる。

 

 

 

見た人からすれば、物を壊した人を悪だと判断することは正しい。

 

物をどう壊した。どういう風に壊れた。なにを壊した。等々、

切り取った情報を一つ一つ丁寧に正論を言っていけば

 

多大な情報量となり、いつしか人を助けようとしたことはそもそもなくなってしまい、

一つ一つの壊れた物だけの話になってしまう。

 

 

 

助けようとした人は

 

人を助けようとしたこといくら伝えたとしても

それはもう言い訳となって聞こえてしまう。

 

 

結果、助けようとした人は悪となり罰や批判を受ける。

 

いつしか人を助けようとした人は、人を助けようとはせず、正論先生になってしまう。

 

リスクがなく、正論を言えるから。上位に立てるから。

 

 

こんなことが今の日本には多い。そして、そんなこんなで正論先生が増えている。

 

 

 

 

極端に言ってしまったけど、ほんとに正論先生は多い。

情報が先に出る世の中なせいで、色々おかしな世の中になっている。

 

ちびっこ達も年齢とは伴わない精神年齢を身につけ、

きっとこの先、誤った正論先生も出てくることだろう。

 

 

物事を考えるとき、嘘でも正論先生の反対の意見を考えとくことやいらない優しさを持つことはきっと大事だと思う。

 

そうすることで正論先生の在り方はまた変わってくると思う。

 

 

そんな自分も、時として我を忘れ、正論先生となってしまう。

自分もまだまだだなーっと実感。

 

正しいことを正しいと言うだけでなく、

想像や嘘でもいいから、信じれるものを信じてみて

相手の心の声を聞くことができれば、世の中は変わって来ると思う。

 

 

ほんとに今の世の中は、こわい。

 

そんな日常を過ごしている。